こんな社会にするためには・・・どうすれば? 2

 J・S・ミルの『経済学原理』を見た。岩波文庫版で5冊もあったので・・・読むというより、眺めたといった方が適切かもしれない。

 いわゆる<定常状態>が記述されていたのは、第4分冊の第6章で、<停止状態>という見出しであった。

 以下抜粋。(なお、翻訳の文体が古く堅苦しいところもあるので、少し文を変えて紹介します。)

 

「一体、社会は、その産業的進歩によって、どのような究極点へ向かっているか。この進歩が停止した場合、それは人類をどのような状態にするのか・・・

そもそも富の増加というものが無制限のものではないこと、そして、経済学者たちが進歩的状態と名付けているところのものの終点には停止状態が存在し、・・・前進の途上における一歩一歩はこれへの接近である・・・」

 

 ミルのこの著書は、イギリスにおいて、1848年に出版され、その後49年、52年、57年、62年、65年、71年と7回版を重ねている。ちょうど、イギリス国内では他国に先立って資本主義経済の隆盛がみられ、ヴィクトリア女王が君臨し、世界帝国として7つの海を支配していた頃だ。

もう絶好調で、未来がバラ色で染まっている時に、この記述である。

 

「富の増加は無制限のものではないこと」

「進歩的状態の・・・終点には停止状態が存在し・・・」

 

さらに、

 

「私は、資本および富の停止状態を、・・・あらわな嫌悪の情をもって、見るものではない。むしろ、それは大体において、今日のわれわれの状態より非常に大きな改善となるであろう(と、考えている)」

 

と、<停止状態>を肯定的に述べたのち、次のような驚くべき提言を述べている。

 

「技術が向上をつづけ、資本が増加をつづけると仮定すれば、・・・(このまま、成長しつづけ、人口も増加しつづけ、その結果)・・・自然の自発的活動のためにまったく余地が残されていない世界を想像することは、決して大きな満足を感じさせるものではない。

(たとえば)人間のための食糧を栽培できる土地は、すべて耕作され、花の咲く未墾地や天然の牧場はすべて鋤き起こされ、人間が使用するために飼われている鳥や獣以外の動物は根絶され、・・・野生の灌木や野の花が農業改良の名において雑草として根絶され、自然のままの土地がほとんどない。―このような世界を想像することは、決して大きな満足を与えるものではない。

もしも地球において、その楽しさの多くを与えているもろもろの事物を、富と人口との無制限なる増加が、地球からことごとく取り除いてしまい、そのために地球がその楽しさの大部分のものを失ってしまわなければならぬとすれば、しかもその目的がただ単に地球をしてより大なる人口を養うことだけであるとすれば、私は後世の人たちのために切望する、彼らが、必要に強いられて停止状態に入る、遙か前に、自ら好んで停止状態に入ることを。」

 

 この文章を見た時には、誰もが思わず口走ったはずだ。

 これって今のことじゃないの?

 これって今の我々の問題、そのものじゃないか。

 J・S・ミル! 恐るべし!

 なお、人口の増加にこだわっているのは、マルサスの『人口論』の影響であるが、いずれにしろ、人間活動の拡大が地球の資産を獲り尽くし、消失してしまうのではないか、という今につながる問題意識を明確に打ち出している。

 資本主義の問題点の核心を、明確に把握し、さらにこう提言している。

「・・・私は後世の人たちのために切望する、彼らが、必要に強いられて停止状態に入る、遙か前に、自ら好んで停止状態に入ることを。」

 

 これは、およそ170年前の提言である。

 我々は、「自ら好んで停止状態に入ることを」選択できるのだろうか。

 否!!

 我々は、「強いられて停止状態に入る」ことが求められている。

 SDGs、持続可能な開発目標。

 なぜ開発?持続可能な発展?

 J・S・ミルの<定常(停止)状態>への提言の方が、私はイメージできるし、社会システムへの見直しを促す力がある。

 

 J・S・ミルの『経済学原論』の問題点。

 我々にとって、根本的な問題は、ミルは19世紀のイギリスの現実から思考していることである。しかたがないことであるが、当時のイギリスの資本主義経済状態であれば、株式会社の発展も、重工業を中心とした金融巨大資本もまだ存在していない段階であるから、<停止状態>が構想しやすい段階であった。

 このことは、第7章の<労働階級の将来の見通しについて>において、資本家と熟練労働者を中心とした人々との利潤を分け合う協力関係や、労働組合による企業経営の例など、現在から見れば、牧歌的な事例を挙げている点でも言える。

 そして、何より、イギリスの楽観的な発展への自信、そして、その結果の停止状態で予想している質的な豊かな生活の享受は、植民地としてのインドや南アフリカアメリカ南部の奴隷による農業経営などによって支えられている事実に触れられていないことである。

 

 しかし、そうだとしても、ミルの提言は

 現在の私たちこそ真剣に考えなければならない、ということは確かだ。